主体108(2019) 12月 15日

普通江畔の転変

平壌の中心部を悠々と流れる普通江畔の昔の地名は土城廊である。

人々が普通江の川辺と土城壁にもたれ、あばら家を作って暮らしていたといって土城廊と呼ばれてきた普通江畔は、日帝の軍事的占領の時期(1905-1945)には、雨期になって雨が少し降っても洪水によって川辺のあばら家が全部水に沈んでしまうことが常であった。1942年の洪水の時には数多くの人が命を失われ、2000余ヘクタールの耕地と1000余戸の家が浸水した。

主席は国が解放されて間もないチュチェ35(1946)年5月21日、あらゆるものが不足している困難な状況の下でも普通江に秘められている人民の不幸と苦痛を一日も早く和らげるため普通江改修工事を発起し、現地に出向いて初の鍬入れをした。

普通江改修工事はその作業量が非常に膨大であったが主席の指導と平壌市民の高い熱意によって55日目に成功裏に終った。

その後、普通江畔は人民の幸せが溢れる文化休息の場として立派に変わった。

元々の河跡9km以上の区間には普通江運河が建設され、これを中心に普通江遊園地が設けられた。遊園地には複数の島と池があり、随所にしだれ柳、平壌紅葉などの100余種の樹木とユスラウメ、モモ、アンズなどの果樹が茂っており、各種各様の花が咲いて遊園地の自然風致を増している。

川辺に沿って楽園通り、ブルグン通り、千里馬通りのような壮大な通りと人民文化宮殿と平壌体育館、清流館、アイススケート・リンク、蒼光院をはじめ文化・情緒生活基地とサービス基地が立ち上がった。

最近は、普通江の岸辺の各建築物と調和して数十棟の多層・高層住宅と公共建築、各種の便益サービス施設、園林および公園区域をもつ万寿台通りが立ち上がり、普通江商店、普通江デパート、普通門通り肉類商店など各種のサービス施設が設けられて市民の生活上便益を保障している。

人民の福祉増進を最優先視している共和国の人民的施策によって普通江畔はさらに美しく変貌している。

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