主体108(2019) 12月 15日
卓越した知略と用兵術が具現された茂山地区進攻作戦

【平壌5月23日発朝鮮中央通信】主席が策定、指揮した茂山地区戦闘があった時から80年になった。

チュチェ28(1939)年5月に行われたこの戦闘は、普天堡戦闘(1937年6月)とともに朝鮮人民革命軍が国内で行った軍事作戦の中で最も規模が大きく、意義が大きい戦闘として朝鮮の抗日武装闘争史に記録されている。

主席は、日帝が朝鮮人民革命軍に対する攻勢をより強めながら革命軍が全滅したとデマまで飛ばしていた当時、人民に勝利の信念を与え、敵に甚大な政治的・軍事的打撃を加えるための銃声を国内で響かせることを決心した。

主席が同年4月、北大頂子会議で打ち出した茂山地区進攻作戦方針に従って朝鮮人民革命軍の主力部隊は鴨緑江沿岸国境一帯の敵の要衝を連続打撃する春期反撃戦を展開して国内進攻作戦の突破口を開いた。

5月18日、鴨緑江を素早く渡って祖国の地に入った革命軍は敵を守勢に追い込んで青峰と乾滄、ペゲ(枕)峰と三池淵を経て白昼に「甲茂(甲山-茂山)警備道路」に沿って茂山地区へ迅速に進出した。

革命軍の国内進出を防ぐために日帝が手間をかけてつくった警備道路を大部隊が白昼に行軍したという事実は、敵の数個の師団を掃滅したことよりも大きな波紋を呼んだ。

絶妙無双の一行千里戦術に敵があわてふためいている時、革命軍は22日、新四洞と新開拓一帯で軍事・政治活動を積極的に繰り広げた。

翌日、朝鮮人民革命軍は地形上有利な大紅丹原で誘引伏兵戦で新開拓から引き上げる第7連隊を追撃していた敵を一撃のもとに全滅させる大きな戦果をあげた。

これで、茂山地区進攻作戦は勝利のうちに締めくくられた。

茂山地区戦闘は、大陸侵略に狂奔していた日帝に痛打を加えて隣接諸国の革命闘争に直接的な助けを与えたし、帝国主義侵略と隷属に反対する世界の被抑圧人民の民族解放運動を鼓舞した。---

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