主体108(2019) 7七月 22日
歴史遺跡―勝戦台碑

豆満江から約3里離れた朝鮮の東北部羅先市先鋒地区の造山洞には歴史遺跡―勝戦台碑がある。

勝戦台碑は外来侵略者を撃退し、国を守って戦った朝鮮人民の闘争史を伝える歴史文化遺跡である。

同碑は、16世紀に愛国名将―李舜臣(1545~1598)将軍が外来侵略者を撃退し、祖国の北端を守り抜いた闘争業績を後世に伝えるため1882年に立てた紀蹟碑である。

花崗岩の礎石の上に立てた石碑の前面には「勝戦台」という大きな字が記されており、後面には1587年外来侵略者が侵入した時、この地域を守っていた李舜臣将軍が少兵をもって道の要所に待ち伏せて敵に甚大な打撃を与え、後世の人々がその場所を勝戦台と呼んだという内容が記されている。

当時、42歳の李舜臣将軍は万戸(朝鮮封建王朝時代に封建国家の下級地方軍事行政単位であった陣の軍事指揮官)として咸鏡道に滞在しながら朝鮮の北部国境防衛で大きな戦功を上げた。

兵士と人民はその勲功を喜び、当時の乱れていた東北方国境はわずか1年余りの期間に難攻不落の要塞となった。

その時から彼の名声は愛国的勲功とともに高まり始めた。

李舜臣は壬辰祖国戦争(1592年~1598年)の時、水軍を指揮して日本軍を打ち破り、戦争勝利に大きく寄与した。

後にその地方の人民は、李舜臣が造山堡万戸を務めていた当時、彼の愛国的業績と功労をたたえて村の東北側にある峰を勝戦峰と名づけ、老若男女を問わず立ち上がって勝戦峰の上に石を運んで記念塔を築き上げたが、その高さは身丈の1.5倍もあった。

この後、関北節度使が巡察中にその塔を見て、功績に比べて余りにも小さいといって紀蹟碑を建てるようにした。その紀蹟碑がほかならぬ今日の勝戦台碑である。

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